Shunzou's Diary

Shunzouの日記

公平なる観察者 神の如き公平性

どうめ・たくお 59年生まれ。京都博士(経済学部)専門は経済学史・経済思想

日経新聞に、私でも読める現在の資本主義の在り方に対しての記事があったので紹介させて頂きました。

 

★メインキーワード★

・利己主義

・独占精神

共感

・公平な観察者

開かれた公平な観察者

・複数のアイデンティティ

・新しい考えや価値観

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「資本主義とは、民間企業が市場を通じて資金調達・生産・販売を行、消費者に財とサービスを提供するシステムである。このシステムの下では法に反しない限り、誰でも自分の資本を使って、あるいは誰かの資本を借りて自由に事業が始められる。つまり自由な企業(起業が)が許される。

ただし、企業は市場で他の企業との競争にさらされる。消費者に良質な財とサービスを安価で提供できる企業は利潤を得て勝ち残れるが、それが出来ない企業は損失を被り、場合によっては市場から退出しなくてはならない。

国富論(1776年)の著者”アダム・スミス”は“資本主義”という言葉は用いていないが、市場での競争が安価で良質な商品を社会に普及させることを認めた。そして利己心に基づいた行動を社会全体の利益に繋げる働きを“見えざる手”と呼んだ。“国富論”から240年たった現在の資本主義経済をスミスが見たらどう思うであろうか。

まずは”技術革新”により世界の人々の生活水準が飛躍的に向上したことに驚くに違いない。蒸気機関しかしらないスミスにとって、鉄道、自動車、航空機、電話、テレビ、インターネットが普及した生活は想像すらできなかったものだろう。”技術革新”による富の増大という点では、資本主義はスミスの予想をはるかに超えて成功したといえる。

しかしながら富の増大は人口の増大を伴い、地球温暖化や環境破壊、天然資源の枯渇など、やはりスミスが想像もしなかった問題を引き起こしたことを忘れるべきでない。

またグローバルな競争により世界の各地域で伝統的な慣習や生業は変容を余儀なくされ、家庭や共同体の絆が弱まっている。

 

個人間の貧富の差は拡大し、貧しい状態にある人口を残したまま、少数の富裕層が世界の富の半分を握るようになった。

 

グローバルな金融システムが引き起こす経済の予期せぬ変動や危機により、弱小な企業が倒産する一方、有力企業の中には、政府に競争力を向上させる政策をとるように働きかけるものもある。政府は自国の企業を守るため、従来以上にグローバルな経済競争に関わらなければいけなくなった。各国政府にとって、諸外国は交流や友好の相手という以上に、経済的な競争相手や戦略的な競争相手になっている、

実は、企業と政府が一体となった国家間競争、スミスが“国富論で批判した当時の欧州の経済体制、すなわち重商主義に他ならない。重商主義の時代、各国政府は国内の特権商人や大製造業業者の利益を守るため、輸入規制や輸出規制、植民地経営などの政策を進めた。重商主義体制に独占精神--自分の利益のために他を顧みない精神--をみたスミスは、現在の経済体制の奥底に、方法は異なれども、同じ精神を見出すのではないだろうか。

スミスは道徳感情論”(1759年)で、社会の秩序と繁栄にとって”共感”が重要な役割を果たすことを示した。

”共感”とは、他人の感情を自分の心に写し取り、それと同じ感情を引き起こそうとする心の働きだ。人間は他人との共感を繰り返しながら、成長とともに自分が所属する社会で通用する“公平な観察者”の判断、すなわち利害関心のない第三者的な判断の仕方を学び、心中に取り入れる。そして他人の行為だけでなく、自分の行為の道徳的な妥当性を、心中の”公平な観察者”を用いて判断し、行為を制御する。

他人との”共感”は、”共感”する相手に自然な愛着を生む。愛着とは、その人の幸福や利益を願い、場合によっては自分の幸福や利益を犠牲にしてもよいと思う気持ちである。愛着の強さは、相手のことをどれくらいよく知っているか、共通点を見出せるか、そして実際にどれくらい頻繁に”共感”するかに依存する。通常、”共感”の頻度は自分を中心として、家族、友人、同僚、隣人、同胞、外国人の順に低くなる。”共感”の頻度とともに個人に対する愛着も同じ順序で薄れていき、それに応じて共同体に対する愛着も、家庭、組織、地域、国、世界の順に薄れる(図参照)。

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スミスは当時の現実的な人間交際の範囲から見て、共同体に対して個人が持てる愛着は国までだと考えた。

個人は愛着を持てる人や共同体に対しては、”公平な観察者”の判断に従って自分の行為を制御できるが、愛着を持たない人や共同体、特に利害関係が対立する人や共同体に対しては、制御できないことがある。独占精神とは、公平な観察者の声を無視して自分の組織、自分の国の利益を追求する精神を意味する。

スミスが認めた競争はフェアプレーの精神に基づいた競争、すなわち各自が”心中の公平な観察者”による制御に従いながら行われる競争であり、無制限な競争ではない。

競争がグローバル化する現代、公平な観察者いによる制御もグローバル化されなくてはならない。”グローバルな公平な観察者”は、特定の国や民族、宗教のなかだけで通用する”開かれた公平な観察者”、すなわち”人間として判断する観察者”でなくてはならない。

スミスの時代のように、諸個人の日常生活が特定の国や民族、宗教のなかに閉じ込めらてている限り、”開かれた公平な観察者”を形成することは困難でであろう。

しかしながら、情報化とグローバルな人の移動が進む現在、世界の人々が知り合い、共感する機会”機械”は、スミスの時代と比べ飛躍的に高まった。アマルティア・セン米ハーバード大教授は、”開かれた公平な観察者”形成する環境は整っていると考える。

その際重要なのは、各自が自分の中にある”複数のアイデンティティー”(主体性)を認識することだ。個人にとって、”自分を自分と認識するときのよりどころは”、国籍、民族、宗教、年齢、性別、居住地、職業、政治信条、趣味など複数あり、それらのなかの一つに限られないはずだ。個人が複数のアイデンティティーを柔軟に用いて様々な人と交際し、相互に共感出来れば、現在の枠を超えて愛着の範囲を広げられるかもしれない。

個人が心中の公平な観察者を開いていくことは、組織、地域、国への愛着へ矛盾するものではない。むしろ、より広い視点に立って自分の組織、地域、あるいは自国の課題や果たすべき役割を見出すことができる。

 

人類を全体として協力して取り組まなければならない地球規模の問題が発生しているにも関わらず、人類は、個人、所得、民族、国家、宗教の間で分断され、それぞれが自分たちの利益や価値観を守ろうと内向きになっているのではないだろうか。

 

この状態が進めば、今後人口が増大し、自然環境が悪化し、食料やエネルギーの獲得が困難になる中で、人類は飢餓、感染症、犯罪、内乱、テロ、戦争、など、不本意な死の犠牲者を増大させる危機に陥る恐れがある。

資本主義を”独占の精神”から救い、人類を危機から救うには、企業や政府だけでなく、あらゆるレベルの社会が主体性を発揮して、”新しい考えや価値観”を生み出していかなければならない。必要なのは、私たち一人ひとりがそれぞれの持ち場で、今よりも一歩開いた”精神”に立って考え、行動を起こし、様々な可能性を試すことだ。無為にも見える各人の一歩一歩の積み重ねこそ、未来社会の真の礎である。」

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共感できる記事であった。

自分は主体性を発揮できているだろうか?

開けた”精神”で多くの人に共感できているだろうか?

行動を起こしているだろうか?

 

少なくともブログを書くことは行動しているうちに入ると思います(足りないけど)

今回は大部分が私の書いた文章ではありません。それでもコピペではなく、自分の手で文字を打ち込むと、記事を読むだけでは得られない深い記事への理解が得られます。また、良いと思った記事を違う媒体で紹介することに価値があると思います。Shunzouブログ運営ルール、筆者の真意や意図をきちんと読み取り、内容を理解出来た記事以外は紹介しない。

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Shunzou

 

 

 

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